2023年10月にリリースしたツアーガイドアプリ「立山冒険ライド ~立山信仰の謎を追え!~」。このアプリは、2014年に富山県立山町に移住し「里山マウンテンバイクツーリズム」を提唱する “ホラ吹き” ガイドの佐藤 将貴さんと一緒に作成しました。
今回のインタビューでは、佐藤さんが里山マウンテンバイクツーリズムを広めようとしたきっかけや、今後叶えたいことをお話しいただきました。
佐藤将貴(さとう まさき)さん
兵庫県神戸市出身。2014年に富山県立山町へ移住し、現在(記事執筆時 2023年10月)は陶芸家の妻とふたりのお子さんとの4人暮らし。里山を元気にするため、里山マウンテンバイクツーリズムなどのさまざまなプロジェクトを推進中。
株式会社 縁溜 共同創業者- 取締役
埜の家 支配人
里山マウンテンバイクツーリズム実行委員会 代表
立山町を訪れる前のご経歴を教えてください。
兵庫県神戸市で幼少期を過ごし、高校卒業後は、当時のテレビ番組で見たヒッチハイクをしながら活動する音楽ユニットに影響を受け、自分もミュージシャンを目指してギターを担ぎながらヒッチハイクで北海道は稚内から鹿児島県の屋久島までまわることができました。
夢に向かって挑戦する若者を応援してくれた方々のおかげで日本一周はできましたが、プロデビューは叶わず、周りの友人が大学を卒業して企業に勤めはじめる22歳のタイミングで、自分も夢をあきらめて企業に就職しました。そのあとは、転職もしながら機械設備の技術営業職を15年ほど続けました。
立山町に来たきっかけを教えてください。
陶芸家の妻と映画「おおかみこどもの雨と雪」を見て、その舞台となっている自然豊かな立山町に魅了され、2014年に妻が地域おこし協力隊として赴任するタイミングで、その付き人としてやってきたのがきっかけです。
そこから里山暮らしが始まったのですね。
これまで神戸や埼玉などの都市部に住んでいた自分にとって、立山町の自然やそこで過ごす時間がとても豊かなものに感じました。
おいしい湧き水があったり、ご近所さんが自家栽培した野菜を分けてくれたり、薪ストーブで煮炊きができる暮らしなので、たとえ災害でインフラが止まって外部と切り離されても、しばらくは生きていける。日々の暮らしで四季折々の自然や景観に魅せられる、ここでなら人としての本質的な豊かさを日々実感しながら生活できると思うようになりました。
でも、地元の人はその魅力に気づいていないんですよね。里からどんどん若者が出ていき、高齢化が進んでいく。”ヨソモノ”としてこの地域の良さを実感しているなら、その価値を魅せ伝える事で人々が心を動かされる瞬間を作っていきたいと徐々に思うようになりました。
決断にあたり不安はありましたか。
妻の知り合いの職人さん達と飲んでいるときに、リスクやデメリットは差し置いて、自分が好きなことややりたいと思うことに突き進む「ゴーイングマイウェイ」志向に触れられたことで、そういう生き方もあると知ることができました。
2015年に定住用に古い家を購入したことで、周りからの見られ方も、少しづつヨソモノではなくなっていった気がします。
あとは、マイホームを持った神戸の友人達と飲んだ時に、「住宅ローンがなかったら仕事どうする?」というトークをしたり、やりがいやリスクも含めて将来どうしたいかをじっくり考えました。「田舎の古い家だとローンもほぼない!子供もいるけど今ならワンチャン挑戦できそう!!一度きりの人生なのでやってみよう」と決断しました。
「里山マウンテンバイクツーリズム」をはじめたきっかけは何ですか。
「里山の自然資本を活かしたコンテンツづくりをする」とは決めたものの、最初は何もかもが手探りで全然うまくいきませんでした。
以前から一緒に里山を歩き回ったり、仲良くさせてもらっている地元のおじさんがいまして、「順調にやってるか?」「いえ、全然だめです」なんていう会話をしていたある時、「マウンテンバイクって知ってるか?」という話になったんです。
これまで自転車をのんびり漕ぐ「ポタリング」で道案内をしていたことがあり、そのことを知っていたおじさんが、マウンテンバイクでやってみたらどうかというアドバイスをくれました。
「里山」と「マウンテンバイク」をかけ合わせることで里山の自然資本を活かしたコンテンツをつくれるとピンときました。当時はマウンテンバイクを所有していなかったので、すぐに30万円くらいのものを購入しました。妻にバレたら怒られるので、借り物だと嘘をつきつつ(笑)。そして、マウンテンバイクコースの聖地である長野県の白馬岩岳で実際に乗ってみて、面白さを体験しました。
マウンテンバイクをスポーティに楽しむなら、立山の誰も知らない里山よりも聖地に行く方が絶対に面白い。聖地ではなく、低山が続く里山地域でマウンテンバイクを楽しんでもらうためには新しい価値を提供する必要があります。そこで、「E-BIKEを使った歴史冒険」を体験してもらおうと考えました。
その頃はちょうどコロナ禍ですよね。
コロナ禍のため、当時やっていた仕事が休業状態になり時間ができました。それはむしろチャンスで、荒れていた山道をツアーで使える道にしようと整備を進めました。
マウンテンバイクが通れるように開拓を進め、約半年間で2kmほどのコースにしました。子どもがいるので、早朝4時から始めて8時くらいには家に戻るペースで一気に進めました。
行動の原動力になっている座右の銘はありますか?
「オワコンをゾッコンにする」です。
移住して過ごすなかでも、自分が住む地域で子どもが減って小学校が廃校になったり、田んぼが荒れ果ていくなど、里山がいわゆる「オワコン(終わったコンテンツ)」になっていく姿を目の当たりにしました。
里山暮らしを通じてたくさんの優しさや豊かさをもらっていたのに、その素晴らしさを誰にも伝えずひとり締めしていたことをとても後悔しました。
これからは、そんな里山を「オワコン」ではなく、人々が「ゾッコン」できる場所に変えていきたいと思います。
佐藤さんのようなツアーガイドがいれば、里山も盛り上がりますね。
新聞やテレビなどのメディアで取り上げていただくこともあり、ほかの地域の方から「うちにも来てツアーガイドをしてほしい」「地域を盛り上げてほしい」というお声がけをいただくこともあります。
ツアーガイドのキャラクターとしておもしろがっていただいている部分もあると思いますが、ツアー用のコンテンツを作るならその地域に詳しい人が適任だと思っています。そうすると、自分よりも、その地域にいるその地域のことが大好きな人がガイドをしてくれるほうがいいんですよね。
佐藤さんのような活動をされるツアーガイド人口も増えてきているのでしょうか。
地域によってはツアーガイドの活動に補助金を出していたりと、自治体からのバックアップもあるようですが、それでも応募者が現れないという話を聞きます。
ツアーガイドの仕事だけでは生計を立てられないことも多く、ガイディングの価値を伝える活動をしていく必要があります。
今後、「里山マウンテンバイクツーリズム」をどのように展開したいですか。
サイクルツアーガイドがいれば、全国各地にある、その地域ならではの絶景や文化をもっと活かせると考えています。
どうすれば、後進のツアーガイドを育てながらその地域の文化遺産を人々に楽しんでもらえるか。自分がガイドを育てるという方法もありますが、それだけだと対応できる人数が限られます。
そこで、自分がいなくとも自身が企画した「立山冒険ライドツアー」を体験できるスマホアプリコンテンツであったり、日々の広報PR活動などを通じながら「里山サイクルツーリズム」に興味を持ってくれる関係人口を増やしていければと思っています。
(vol.1(後編)株式会社縁溜 佐藤 将貴氏:「立山山岳信仰を活かすコンテンツとして生まれた立山冒険ライドツアーとアプリ」に続く)